灯るきの肖像
コロネ三太郎
夢を見た。チョコレートのかかったビスケットを齧る夢だ。僕は生来シンプルなビスケットが好きだ
が、友人はチョコレートビスケットの方が好きだと言う。春限定のストロベリーモンブランはお得感が
あって好きだとも。それには同意する。いちごクリームのモンブランは甘酸っぱくて僕も好きだ。今度
食べに行こうと約束すると、幻影は雲になって消え失せる。夢の中の友人は人懐っこい笑顔のまま僕
に手を振っていた。
闇に沈みそうなヘッドフォンが黒く光り、モスグリーンだったそれは深緑色して肩を濡らす。とんだ食
いしん坊の血が騒いだせいで、ちょっぴりレトロな音楽が鳴りやんだ。空腹が踊り出すので、痛くなる
前にフルーツバーを貪ってみる。昔のテレビでやっていたみたいに格好つけて咀嚼すれば、無理に力
を込めた歯が非難の声を上げた。冗談だから怒らないでおくれよ。僕はミネラルウォーターと一緒にそ
れを片付け、ガタンゴトンと列車に揺られる。随分と遠くまで走り続けてきたようだが、一向に目的地
が見えてこない。いや、目指すべき場所などあったのだろうか。美味しい食べ物の匂いにつられて乗
り込んだような列車だ。別になくたっていいじゃないか、そう一人で納得すれば睡魔に飲まれるのみ。
「お兄さん、モデルやってみない?」
ありがたい話だがお断りである。僕は見られるより見る方が好きだ。カメラで映すのにも映されるの
にも興味はないので、貴殿とはお別れなのだ。
「展示会に使うプラモデル作ってくれない?」
そんなに綺麗に作れないからノーセンキューで頼む。完成品が手元に戻ってこないのはちと辛い。
それにしても実際にあったようななかったような夢の内容だ。どうしてこんな曖昧で他愛もないことば
かりなのだろう。少し唸るふりをして歩くと、やはり友人は穏やかな笑みのまま僕の前に現れる。これ
らは全て君が見せているものだろう? いい加減何か言ったらどうなんだい。え? ちゃんと喋ってい
るだろうって? 友よ、それは君が
「丸く、穏やかに生きなよ」
これを言ったのは誰だっただろうね。おそらく、僕にとって最も意味ある言葉だ。焦らず、怒らず、腐
らず考えてみよう。僕は僕の正体を探すためにここに来たのかもしれない。現実の中の僕は窓から雪
を眺めて、その積もった白さに感慨深いものを覚えて息をつく。溜め息なんかじゃない。そんな風に悲
観するのはとっくの昔にやめているから。友人は僕の手を取り、スナック菓子片手に山登りを始める。
きっと彼がしたいのは、山頂でお菓子の袋はどうなるのかだ。確か膨張するんだっけか……ぼんやり
とそれを眺める僕の手にはラムネ菓子。素朴な味わいだよ、実に。
おもしろみのない人間だと思う。僕というヤツは変わり者ではあるが、器用ではないからだ。他者の
言うおもしろみは、社会の都合に合わせながらの破天荒さにある。はっきり言うと不器用な人間にそ
れはない。器用な人間の特権だ。特権階級の人間の話だ。別世界の話はやめにしよう。ぶきっちょさ
んがリスペクトされることは少ないが、おもしろさはある。「み」と「さ」に何の違いがあるのかって? そ
りゃ大違いだよ。生まれつき持っているものと、努力して手に入れるものの違いくらいにはね。友よ、
君は間違いなく後者だが、どうかそれを愛してほしい。何も僕を愛してくれと言っているんじゃない。君
は君自身を愛すべきなんだ。大丈夫、誰だってヒトを愛したりする。気が済んだなら降りてきてほしい。
随分と揺れが激しい。再動の音楽プレーヤーは殺人鬼じみた曲を流し、ロックとは何たるかを僕に
教えてくれる。嫌いじゃない。運転手さんは車内放送で謝罪し、遠くの席のお婆さんのみかんがころり
んしていた。僕はそれを拾い上げ、土産の如く手渡してみた。彼女は若い子から貰えるなんてねと喜
び、今にも昇天しそうな勢いで飛び跳ねる。揺れを感じない身体の持ち主にとって、この車両はあまり
に不憫だった。そうしてそっと囁くと、彼女は驚いたように尻もちをついてしまう。あれまぁ、口が開いた
ままですよ。あのね、お婆さん。この列車に乗っても天国には行けませんよ。死んだような顔の人間ば
かりですが、本当に死んでしまう訳じゃないんです。そりゃ、中には死んでしまうヤツもいますが……
少なくとも僕にそのつもりはありませんから。そっと90年代のロックから最新のバラードに曲を切り替
え、終点下車することになった。
そこは砂漠だった。不思議と暑さはなく、何となくだが今の季節は寒いものだと感じられた。駅に名
前はない。ここから先は乗り換えになるそうだが、僕の手には続きの切符はなかった。こいつは乗って
から切符を買わせてくれる列車を探すしかないだろう。違法乗車も悪くないが、運転手と目を合わせ
ずに乗る方法を僕は知らない。古びたベンチに腰掛け、次の列車を待とう。それからしばらくして特急
列車が走り込んできたが、僕がそれに乗ることはなかった。多くの人々がそれに駆け込んだが、傍観
するだけだ。それは、僕の乗るべき列車ではなかった。大丈夫、きっと来るさ。来なければ探しに行こ
う。何なら列車でなくたっていい。ヒッチハイクでも何でもして差し上げよう。友よ、夢の中の君が今現
実になる。ゴミ屑程度の価値しかない思い出達と共に、見つめる旅をしてくれないか? だからチョコ
レートをかけるのは、ほんの少し待ってほしい。