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草野俊太郎

魔法


 魔法

                                                           草野俊太郎

 ある日の帰り道、僕は小さな瓶を見つけた。真っ暗になった道の中で、街灯に照らされながらそれは転がっ

ていた。

 拾い上げてみるとラベルには「魔法が詰まった瓶」と書かれている。馬鹿馬鹿しいと思ったが、ふと考えて

みると不思議なことがあった。普段は携帯を見ながら歩いているのに今日はたまたまそれをしてなかったこ

と、瓶の転がっている場所がたまたま街灯の照らしている場所だったこと、そして僕がこの瓶を拾い上げたこ

と。この瓶を僕が今こうして持っているのはおおよそ奇跡のようなことじゃないかと思えてきた。

 中身を覗くと、ぐにゃりと歪んだ向こうが見えた。中には何も入っていないようだ。別に「私を飲んで!」と書

かれているわけではないし、瓶に入っているからといって中身が液体である必要はないのだろう。魔法とは無

色透明なのかもしれない。

 この瓶の口を塞いでいるコルクを抜けば、魔法は狭い瓶の中を飛び出して外の世界へ飛び出していくのだ

ろうか。その姿を僕は思い描く。星に代わって、電気に代わって魔法が街を照らして、人はそれを不思議そう

にじっと眺める。魔法はそれぞれの人の許に降りていって願いを叶える。僕は魔法になにを願おうか。将来

の成功を願おうか。それとも好きな人との恋を成就させてもらおうか。いや、折角だし魔法でしか叶えられな

いことを願おう。例えば、世界中の人をみんな花に変えてもらうとか。

 僕は目を瞑って人が花に変わった世界を想像する。真っ黒なまぶたの裏側にその世界が浮かび上がって

きた。

 街は静けさに包まれている。聞こえるのは風の音だけの世界。大きな動物は山から下りて来ないから街は

本当に静かだ。でも、耳を澄ませば不思議と花の声が聞こえてきそうな気もする。人が花になった世界では、

僕も一輪の花として咲いている。そうだな、なれるならコスモスがいい。真っ白なコスモスがいい。硬いコンク

リートの地面を突き破って、その下の地面に根を下ろす。ああ、太陽が輝いている。風が僕の細い胴を撫で

るのを感じる。日を浴びて、風に揺れて日々を過ごすのだ。西日におやすみと言って眠りに入り、朝露の冷た

さに目を覚ます。頑張って早起きして朝焼けを見るのもいいか。

 僕の周りには色んな花が咲いている。ダリアや薔薇、アネモネに百合の花、椿の花。頭を上に向けると桜

や梅の花が僕を見守っている。おっと、松やシダも忘れてはいけないな。みんなで一緒に日を浴びて、一日を

過ごし、一緒に眠る。朝になるとおはようを言いながらみんなに笑顔を向ける。そうやってまたみんなで日を

浴びるのだ。

 そういえば、ガラスは液体だと聞いたことがあるな。人が花になった世界では、役目を終えたガラスはゆっく

りと溶けていくのだろうか。四角い枠から溶け出して、最後はキラキラ光りながら僕らの許へ流れてくる。ガラ

スが収まっていた窓枠は囲うべきガラスがなくなって悲しむかもしれない。でも窓枠は勿論、人が使わなく

なった建物は風に削られ、雨に流されてバラバラに砕けていく。ガラガラと音を立てながらひとつずつ崩れて

いく。ガラガラ、ごうごうと音を立てて。そうやって出来たガレキの山もいずれは土になるだろう。鉄筋は錆び

たあと、風に飛ばされて山の向こうまで飛んでいく。そうして人がいた跡はなくなっていくのだ。家も学校も、ビ

ルも。やがて僕の目に映るのは緑と花だけの世界が出来上がるだろう。

そうして出来上がった世界で僕はゆっくりと一日一日を過ごして、最後はそっと花びらを落として、死んでいく

のだ。鳥と花達に見守られて死んでいくのだ。ああ、それのなんと幸せなことか。

 瓶を街灯に向けてその中をもう一度覗く。やはり中は空っぽに見えた。でもさっきとは違って、僕はあるもの

に気が付いた。街灯の光に当てられて瓶に妙な凸凹があると気が付いたのだ。よく見てみるとそれはよく見

る食品メーカーのロゴだった。一気にこの瓶が安っぽく見えてきた。僕はコルクを引き抜いてみることにした。

コルクを引き抜いてもなにも起きなかった。魔法が飛び出すことはなかった。瓶をコンクリートの地面に落とし

てみた。瓶はがしゃんと立てて割れた。僕にはなんとなくその音がとても耳に障るものに聞こえた。

 後に通る人がこれを踏むと危ないな、と思った。僕は割れたカケラを拾い集めた。結局魔法なんて都合の

いいものはこの世に存在しないのだろう。そう改めて思うとなんだか急に悲しくなった。

 集めたカケラを近くにあったゴミ箱に捨てた。他のものとぶつかって、砕けた瓶のカケラはカラカラと音を立

てながらゴミ箱の底へ落ちて行った。カケラと一緒に「魔法」も捨ててしまおう、僕はそう思った。

 そうやって僕は再び暗い帰路に就くのだった。

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